『アメリカン・コミックス大全』(晶文社)2005年11月20日初版
ちょっと前のニュースになりますが、2006年5月、第10回手塚治虫文化賞(朝日新聞社主催)に於いて、小野耕世氏が特別賞を受賞しました。これは氏の「長年の海外コミックの日本への紹介と評論活動」に対しての功績が高く評価されたものです。
画像の『アメリカン・コミックス大全』はその受賞対象作品です。
小野氏といえば、1970年代前半に講談社『月刊別冊少年マガジン』の池上遼一版スパイダーマンや同じく講談社『ぼくらマガジン』の西郷虹星版ハルクの構成を手掛けたり、1970年代後半は光文社のマーベルコミック・シリーズやマーベリック出版社の『月刊スーパーマン』等の翻訳で有名です。
1993年に小学館プロダクションがマーベルと提携した時に発行した月刊誌『マーヴルクロス』には「KOSEI'S COMIC WORLD」なるコラムも執筆していました。
ところでそんな小野氏が一番初めに書いたアメコミに関する執筆文は、月刊まんが誌『COM<こむ>』1968年4月号に載った【●海外まんが紹介●■不安の時代の英雄■ スーパー・アンチ・ ヒーロー「スパイダーマン」】という原稿用紙3枚ほどのコラムでした。これは当時『COM』の発行所・虫プロ商事を主宰していた手塚治虫氏からの推薦があり掲載されたそうです。 『COM』 1968年4月号(虫プロ商事株式会社)より
このコラムは好評だったようで、これ以降『COM』が休刊する1971年12月号まで連載されることとなりました。
当時、スーパーマンやバットマンの存在は知られていましたが、“スパイダーマン”を知る人はほとんどいなかったと思います。ましてやアメリカのコミック事情についてなどはまったく誰も知る由もなかったでしょう。しかし、このコラムの連載をきっかけに徐々に認知されつつ、やがて池上版スパイダーマン→光文社→小学館へと繋がっていったと私は推測します。
ようするにアメコミが日本に根付く礎(いしずえ)を築いたのは小野氏であり、もし『COM』での「海外まんが紹介」がなかったら今のようにはアメコミが浸透していなかったはずです。だとすれば私もアメコミの存在を知るのが何年かは遅れていただろうし、ひょっとすると全く興味すら持たなかったかもしれませんね・・・。
■私が所有している『COM』の中で小野氏のコラム(マーベル関連)が掲載されている5冊をご紹介します。
◆戦争がつくった主人公 -キャプテン・アメリカの復活-
『COM』 1968年8月号(虫プロ商事株式会社)
◆マーベル時代がやってきた! -コミック・ブック界の革命-
『COM』 1968年12月号(虫プロ商事株式会社)
◆「Xメン」5人のハイティーン・ミュータント
『COM』 1969年3月号(虫プロ商事株式会社)
◆文明に対決する怪物「ハルク -どこまで逃げても逃げきれぬ英雄-
『COM』 1969年5月号(虫プロ商事株式会社)
◆スパイダーマン再説 -クールなヒーローの時代-
『COM』 1969年12月号(虫プロ商事株式会社)
※ちなみにこの「スパイダーマン再説」が掲載された翌月から、講談社『月刊別冊少年マガジン』誌上において池上遼一版スパイダーマンの連載が始まりました。
■補記■
小野耕世氏の代表的な著書。
【画像左】『バットマンになりたい』(1974年10月30日発行)
【画像右】『スーパーマンが飛ぶ』(1979年07月25日発行)
発行元はどちらも『アメコミ大全』と同じく晶文社。
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